心理的健康について 第67回 [2002/06/07]

第13章 行動と動機2(1)

第2節 真面目に頑張る

 世間は犯罪を犯すと途端に「動機、動機」と騒ぐ。しかし日常生活の行動にも動機はあるし、社会的に望ましいと評価される行動にも動機はある。
 そして前回説明したように動機と行動は別である。人を判断するときに何よりも大切なのは行動ではなく動機を見る事である。分かりやすく言えば「人は心で判断しよう」と言うことである。
 「真面目な人」の犯罪などが起きると、「あの人がそんなことをするなんて、信じられない」と言う人は、その真面目な人が人前で演技しているときの行動しか見ていないのである。劇場の舞台の上で演技をしている時の、その人しか見ていない。楽屋裏を見ていない。しかし動機をよく観察すると言うことは楽屋裏と舞台の上と両方を見ると言うことである。
 人から好かれるために明るく振る舞っている防衛的性格としての明るい性格の人は、前から見るととても明るく明朗である。しかし後ろ姿が物凄く淋しい。そしてその淋しい後ろ姿が、その人の本当の姿なのである。

 問題を起こすような「真面目な子供」は、その周囲の人の好意を得る為には、甘えたくても甘えてはならないということを小さい頃に学習している。「甘えたくても甘えてはならない」と言うことはマイナスの感情を出したいけれども出せないと言うことである。だから憎しみが心に蓄積されてくる。
 問題を起こすような子供は、様々な恐怖から真面目にしていたが、それと矛盾する憎しみが蓄積されてバランスを取れなくなったと言うことである。
 甘えたくても甘えられない、真面目な「良い子」とは、具体的にどういう子供だろうか?例えば、おつかいを頼まれる。しかし疲れている。その時に「ヤダ!」と言えない子と言うことである。もしおつかいに行くとしても「疲れているからイヤだ」と言ってから、それでも頼まれてしょうがないからおつかいに行くと言う子は甘えている。「ヤダ!」と言ってから行く方が心理的には楽である。
 注目されたい、保護されたい、受け入れられたいなどと言うのは幼児的願望である。この幼児的願望が大人になっても満たされていないから、大人になっても注目されようとして真面目にしているのである。つまり問題を起こす子供は幼児的願望が満たされていない。甘えている子は「ヤダ!」と言っても保護され受け入れられるということを知っている。
 つまり甘えられない子供は、「ヤダ!」と言ったら保護されないのではないかと、いつも心の底で恐れている。そして恐怖からした行動では、期待した好意を得られないことが多い。だからそうした子供は苦労する。
 甘えるとは、親に感情でものが言えるということである。感情的に「イヤ」な時に、親に「イヤ」と言えるときに甘えているということである。



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加藤諦三、加藤諦三研究室