心理的健康について 第65回 [2002/05/24]

第12章 行動と動機1(2)

 愛されたい、好かれたい、認められたい、嫌われたくないということからそのマイナスの感情は表現されないまま心の中に蓄積され続ける。やがて怒ることに罪の意識を持つ様になる人もいる。
 淋しいから好かれたい、愛されたい、褒められたい。そこで自分の実際の感情を裏切る。つまり自分で無理やり「良い子」になる。ヘビが無理矢理まっすぐに伸びているようなものである。そうした意味で親の顔色を見て真面目にする子は自己不在の子である。
 大人についても同じである。会社で上司や同僚に評価され受け入れてもらうために無理をして働き過ぎるビジネスマンがいる。周囲の人の顔色を見て真面目に働くビジネスマンも自己不在である。
 自己不在の人はいつも無理をする。しかし周囲の人にとってはこうした自己不在の人は都合良い。ことにずるい人にとって自己不在の人は都合良い。
 自己不在の人の側に愛情飢餓感が余りにも強いと、つまりあまりにも淋しいと自分の感情を見失うまで他人の期待に応えようとする。このように淋しい子供は親の関心を引くために親の要求にかなう行動をするが、いつも自信がない。[はい、はい]と従順に答えながら一人になると落ち込む。ビジネスマンについても同じである。
 そして自己不在の人は自分を裏切り続けるから相手に対して憎しみを持つ。極めて真面目であるが、憎しみがその人の心の底に堆積していく。そしてもこの憎しみは意識されることなく無意識へと追いやられることもあるし、意識されていることもある。

 こうして周囲から好かれたいという気持ちと、周囲への憎しみという二つの矛盾する感情が心の中で激突し続ける。その矛盾する感情をもうどうにも処理が出来なくなった行きづまりは二つの方向で解決される。
 一つの方向は攻撃性が自分に向けられる。怒りが外へ向かないで、内へ向くからどうしても元気がなくなる。それは憂鬱であり、欝病であり、神経症であり、自殺である。
 真面目に働くと言うことによって攻撃性を間接的に満たしていく性格の人もいる。もちろん真面目に働いているけれども、そうした真面目な人は自信がない。 
 もう一つの方向は自分の外に攻撃性が向けられることである。その怒りが殺人や家庭内暴力や非行となって表現される。自殺に出るか殺人に出るかはその人の気質によるところが大きい。
 ずるい人は、相手が穏やかだからとか、真面目だからとか、手が掛からないとかいうことでその人を都合良い人間として扱う。しかしそのつけが社会的な事件としてかえってくる。
 あまりにも真面目な人で問題を起こす人というのは、心から喜ぶという体験を、もう長いことしてこなかった人達である。つまり自己不在で真面目な人は、自分で自分が分からなくなっている。彼らが表面立派であるにも拘らず挫折するのは、彼ら自身が気がついていない心の底の蓄積された憎しみのためである。



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加藤諦三、加藤諦三研究室