神経症的競走をする者は、当然のことながらなかなか敗北を認められない。人に勝つか負けるかが問題だからである。自分がどういう人生をおくるかが問題ではない。
例えば神経症的競走をする者は、仕事の選択をまちがえたときに間違えたと認めることが出来ない。自分は学者になったのは間違っていた、本当は自分は政治家になる方が適していたと心の底で思う。しかし自分は学者に適しているといい張る。
新聞記者になったのは間違えだと心の底で思ってもなぜ、それを認めないのか。競走している仲間を意識してである。仲間が間違えていないのに自分が間違えて不幸になったと認めるのが悔しいからである。そうしたことを考えると、神経症的競走をする人は、仲間に憎しみを持っているということでもある。
仕事の選択の間違いを認めることは、他人を意識しない人でも後悔にさいなまれながら悲痛な日々を送ることを意味する。しかし間違えたと認めることができる人だけがその後の人生で、意味を見つけられる仕事につける。