人を育てる 第23回 [2003/03/27]

お母さんはちっとも私と遊んでくれない

 「お母さんはちっとも私と遊んでくれない」と子供が言った。すると母親は「そんなことないでしょ、お母さんは忙しくても毎日一緒に遊んであげているでしょ」と答えた。そして「家の子供は、遊んであげているのに、遊んでくれないと文句ばかりを言うんですよ、どこかおかしいんですか」と不服そうに専門家に相談した。
 これは「子供の話しを言葉とおり受け取る母親」である。子供が言っているのは、遊んでいる時間ではない。子供が言おうとしているのは、一緒にいる時も、母親の心に自分が居ないと言うことを言っているのである。母親は子供といる時も、顔が他を向いていると不満を述べているのである。「私と遊んでくれない」と言う言葉で、母親は自分といることが楽しくないように思えると言うことを子供は言っているのである。
 アメリカにはよく詩を書いた紙を額になど入れてお土産屋さんなどで売っている。私が買ったものに次のような詩が書いてあった。子供が父親と母親に向かって自分の気持ちを訴えているものである。
「どうか、
顔をこちらに向けてください、そして私と一緒に時間を過ごしてください。そうすれば私は気が引けていつもびくびくして生きていなくてもいい人間になれます」。
 つまり子供と一緒に遊ぶのに、先ず「顔をこちらに向けてください」なのである。子供と一緒に遊ぶ「べき」だから、一緒に遊ぶというのではない、一緒に遊びたい気持ちを母親に持って欲しいと子供は訴えているのである。ところで「顔をこちらに向けてください」をまた言葉とおり受け取らないで欲しい。それは子供と遊んでいるときの、母親の眼の輝きを言っているのである。顔さえ子供の方を向いていれば眼は虚ろでもいいというのではない。子供は一緒に遊んでいるときの母親の目の輝きを感じている。子供と視線があわないまま一緒に遊んでいても子供は「お母さんはちっとも私と遊んでくれない」と思うだろう。
 その額に入っていた詩は十の「どうか、○○してください」がある。もう一つ紹介すると、
 「どうか、
 耳を傾けてください、そして私の質問に簡単明瞭に答えてください。そしたら私はあなたと同じ気持ちになれます」。
 「耳を傾ける」とは、子供の言う言葉の裏に隠されている意味を考えるということである。「どうして、おにいちゃんの方がおかずが多いの?」と言った時には、おかずの量を言っているのではない。そのおかずの量に表われている様な気がする母親の愛を言っているのである。



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加藤諦三、加藤諦三研究室