子供はなぜ「うるさい、ばばあ!」と言ったのだろうか?

子供が母親に向かって「うるさい、ばばあ!」と言った。もうこれで自分達親子は終わりであるかのごとく母親は嘆いた。そして近所のいわゆる良い子をうらやんだ。しかし本当に近所の子をうらやむことが正しいだろうか。
 
子供はなぜ「うるさい、ばばあ!」と言ったのだろうか。子供は母親の言うことに反論できないからである。どうにも母親に反論出来ないときに「うるさい、ばばあ」と言うのではないだろうか。そのことをまず理解する必要がある。
 
それではこれにどういう反応の仕方があるだろうか。まず第一に「どうせ、私はばばあですよ」。これは子供にしたら自分の感情を受け止めてくれていない。子供はますますイライラするだろう。
 
次は「なに、よくも言ったわね」。これは威嚇を続けることである。「眼には眼を」の戦いが始まる。エスカレートするばかりである。
 
では、どういう反応が適切か。
 
「そんなこと言わないでよ」であろう。これは子供の感情を受け止めている。これでしばらくすれば子供の感情は収まる。
 
いずれにしろ「うるさい、ばばあ!」と言った時には、子供は感情を吐き出している。大人になってから挫折する「良い子」はこの様な状況の時にこの母親への攻撃性を自分に向ける。無意識では母親を攻撃しても、意識の上では母親を攻撃できない。自分を責めても母親を責めない。母親が母親ではなく他人だから「良い子」を演じるしかないのである。鬱積した感情でこの「良い子」はいつか将来挫折する。
 
もちろん一番望ましいのは「うるさい、ばばあ!」という感情にならないことである。そういう子育てが出来ればそれにこしたことはない。
 
しかし親も人間だから理想の子育てはなかなか難しい。「うるさい、ばばあ!」と言った子供は二十年後には平凡な一市民になっているだろう。そしてそういう感情にならなかった子供は仲間から信頼される人物に成長しているだろう。そしてその感情を抑圧した「良い子」は挫折しているだろう。
 
人間関係が表面的にうまく行っていることと、お互いに物凄い葛藤を抱えているということは矛盾しない。人間関係のごたごたが葛藤を解決している過程であることがある。
 
「私達親子は、何の問題もありませんわ」などという人達が最も問題をかかえていることがある。

ただここで注意すべきことは子供同士で自分の母親や母親の友達を「ばばー」と言っているのは良い。しかし家で母親の友達が家にくる時に、それを聞いて「あー、あのばばー、、」と言ったら、その時には叱らなければならない。
 
自分の友達の事を「あー、あのばばー」と言ったのを聞いて、「私の息子は何でも言ってくれる」と評価したら大間違いである。